江戸時代中期に著され、平和の世を乱す危険有りと「禁書扱い」となった書物に『葉隠』という名著があります。
『葉隠』は、武士のあり方に対して「何か違う…」と違和感を覚えていた藩の一兵卒に過ぎない若者が、「あー武士の精神ば丸ごとそろばん勘定に持ち替えてしもうた腐れ侍どもの群居してからせからしか!」と高職を投げ捨て山に隠居してしまった侍精神バリバリのミスター侍に、
「本物の武士道ば教えてください!」と歎願して伺い知った言霊を書き起こして出来上がった書です。
「本物の武士道ば教えてください!」と歎願して伺い知った言霊を書き起こして出来上がった書です。
序文となる「夜陰の閑談」に書いてある内容を読むと、あまりにも、僕が高取社長に本の執筆を嘆願した経緯、また時代背景が重なっておりまして、鳥肌モノに驚いた次第です。
名著とは常に「文章」ではなく「活字」であります。活きているので魂が宿っています。魂が宿ると行間が現れまして、読み手それぞれの経験や置かれた環境によって、必要なメッセージを訴えます。
そして、どんな困難に見舞われようとも、時代を超え、読み継がれていくものであります。
以下、高取宗茂さんの「お友達限定公開」のFacebookタイムラインに『葉隠』の神髄が記されておりましたので、勝手に拝借であります♪
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我が故郷には葉隠という武士道の教えがあります。戦時中に『武士道とは死ぬ事と見付けたり』という一文が一人歩きしちゃったお陰で殺伐としているように思われていますが、実はなんてことない。4つの誓願が基本なのであります。
来月で最終回となるヒノマル会議。花の都大東京で奇跡的に御縁を頂けたサムライのような面々。
俺がこの人はサムライだなぁと感じる基準は、『自分の命よりも重たいものを持っている人』、そして葉隠四誓願の最後でもある『大慈悲を以て世の為人の為に尽くすような人』なのであります。
要は、自分の命の捨て時を知っている大きな義侠心の持ち主、いわゆる弱きを助け強きを挫く不死身ではない生身のヒーローなわけですが、我が国には意外とそんなヤツが男女問わず多いなぁと感じています。
この国では歴史上、武士道に関する書物は2つしかありません。当たり前過ぎてそんな事いちいち本にする事すら恥ずかしい。だから1つは外人用に、1つは隠居した爺さんの闇夜語りを若者がこっそりメモしたのが世に出ちゃったぐらいなわけです。
サムライという言葉は、セルフブランディングのツールではない。男子校で、男って何ですかね、と聞いて来るヤツは、彼氏に捨てられたホモ高校生ぐらいしかいません。
堂に入る生き方。自然と身に付いている事。武士道とは、親孝行しなさいよ、という当たり前の事だと知れば、普通に足元見つめてやるべき事をやるだけでよいのです。
来月、ヒノマル会議が終わる事は寂しくも楽しみであります。有終の美であってくれる事を心から願ってやみません。