そんな時にどなたかから、侍が慣習としていた覚悟の話を聞いた。
侍の美学といえば、散り際の美学でもあった。つまり「死」を常に意識した日々を送るということだ。
今の時代に一部の職種を除いてはそんなことは有り得ないが、当時は義を以って主君に仕える身。主君が急襲されれば身を呈して矢面に立ち、仕えた主君に切腹を命じられれば潔く腹を切る。御家の安泰のためには腹を切ってでも主君に嘆願しなければならない、侍としての死に際があった。
その為、彼らは毎朝自宅を出る前にサラシを巻いた。いつでも腹を切れるようにだ。これが「腹をくくる」の由縁なのだそうだ。「いってくる」とは「行く」ではなく「逝く」のであって、毎朝家族との今生の別れを儀とした。
無事に一日を生き永らえては神仏に心からの感謝をした。
当時、夜襲は常であった。当時の枕が高いのは熟睡することを拒み、敵の来襲にコンマ数秒でも早く起き上がって応戦する為だ。その為、すぐ様刀を抜けるように左手を刀に添えて眠りに就いた。床の間には守り刀を据え置いて万が一に備えた。
夜襲に討たれ果てることになっても、家臣や家族の者の手を煩わせぬよう、床に入る前には白装束に身を包んで眠りに就いた。
翌朝、無事に目を覚ましては神仏に感謝を伝え、再び腹をくくって今日一日を始めた。
朝に覚悟し、晩に覚悟し、また朝に覚悟する。
平時に日々繰り返す覚悟によって、急時の覚悟に備えたのだと言う。
一度覚悟を決めたからといって、二度と揺るがない覚悟などは誰しも持ち得ない。
揺らいだ覚悟に気づける繊細さを持ち続け、都度新たな覚悟を以って、今日一日を生き抜くことに尽力する強さを養いたいものです。