見返りを求めず与えれば、
巡り巡って与えられる。
良いことも悪いこともだ。
例えば、陰口を言う人は、
陰口を言うことそのものに
喜びを感じる。
だから、同じように
陰口が与えられる。
相手を攻撃する人は、
相手を打ち負かすこと、
言い負かすことに
喜びを感じる。
たがら、同じように
打ち負かされ、
言い負かされる。
それでも、
「かかって来い」と
覚悟を持って相手に挑めば、
見返りを求めているので
何もない。
負の返報と同じように、
相手を褒め称えること
そのものに喜びを感じれば、
同じように褒め称えられ、
相手を気遣えること
そのものに喜びを感じれば、
同じように気遣われ、
「ここまでしてやったんだから
恩を感じるべきだ」
と見返りを望めば何もない。
良きも悪しきもすべて、
自責の因果によるものだ。
今、風が心地よく感じるのは、
日陰でサボっているからだ。
黒部ダムで泳ぎたい。